【*桜花咲きそめにけり*】 *第二十三幕*
五十話くらいまでに最終回になればいいな…と思っております。
とりあえず梅姫様の話を落ち着かせねばね。
……なにか、様子がおかしいんだよな。
爽子の屋敷の高欄に矢が打ち込まれる事件があってから、数日が経った。
あれから特に変わったこともなく、翔太はあれはきっと誰かの悪戯だったに違いないと思い至っていたのだが。
爽子の顔色が、どうも気がかりだった。
あの事件から、翔太に対してなんだかよそよそしい態度なのが丸わかりだし、最近は更に食も細くなったようで、少しやつれてしまわれたから心配だ、と女房の綾音と千鶴が不安がっているくらいだ。
蔵人所の自分の仕事部屋で、文書を広げた机に頬杖をつき、翔太は溜め息を吐いた。
「……翔太さまは、いらっしゃるかな」
いつのまにか部屋の入り口に、文書を片手に持った健人が佇んでいた。
考え事をしていた翔太は、健人に声を掛けられるまで気配に気づかなかったらしい。
「……あ、すまん。なにか用か?」
「衛門府の月奏文なんだけれどね。回覧させる前に、おかしな箇所がないか確認してほしいそうだよ」
「…それはいいが、すごい量だな」
「半分だけ頼むよ。残りは俺がやるから」
大量の紙束を翔太の机の上に置いて、半分を自分の方へ引き寄せ、健人は翔太の向かいに腰を下ろした。
「爽子姫はお元気になさっておいでなのかな。久しく顔を見ていないけれど」
「……あぁ。まあ、な…」
「……なんだか歯切れの悪い感じだね」
紙束から一枚一枚文書を引き抜き、文字の羅列を目で追いながら、健人は苦笑いした。
「どうも最近、俺に対してよそよそしい感じなんだ。俺に心当たりが無い分、原因がわからなくて…」
「浮気でもしてるんじゃないかな。翔太さま以外の殿方と」
「馬鹿言うな」
じろりと睨みを利かせた翔太が、健人の前に自分の分の半分くらいの紙束を追加した。
「うわ。意地悪だね」
「変なこと抜かすからだ。口を動かす暇があるなら目と手を動かせ」
せかせかと文書に目を通している翔太は、機嫌が悪そうにフンと鼻を鳴らした。
「……うちの可愛いわがまま姫が、何かやらかしたようだよ」
「…え?」
翔太の手がぴたりと止まった。
「胡桃沢の姫様がね。なにか企んでおられる。爽子姫になにか危害が及ばなければいいのだけれど、」
「…お前、それをもっと早く言えよっ!」
冬用の藍色の襲に針を通す手を止めて、縫い目を指でなぞって整えてから、爽子はふうと息を吐いた。
翔太はこの頃、また少し背が伸びた。夏に繕った襲の時より、丈をほんの少し長めに裁ったのは昨日のことだ。
「……姫様、唐菓子を作ったのですが…少し休憩しませんか」
爽子の背中に千鶴が声を掛けて、唐菓子が盛られた小鉢を片手に爽子の横に座った。
「…そうね。綾音ちゃんも呼んで、みんなで食べましょうか」
爽子がふわりと微笑んで、庭から駆け上がってきた散歩帰りのマルに唐菓子を与えた。
爽子から唐菓子を受け取り、美味しそうに頬張っていたマルが、ぴくりと何かに反応したように耳を動かした。
そして、何かを知らせるように「にゃあ」と不穏な鳴き声を上げる。
「……ん?どうしたの、マル」
マルの不審な様子に気付いた千鶴が、不思議そうに声を掛ける。
次の瞬間、マルの背を撫でていた爽子の身体がぐらりと傾いて、ゆっくりと縁側に倒れていった。
「……姫様?……姫様!姫様っ!」
千鶴が慌てて爽子に駆け寄ったが、爽子は意識を失ってしまったようだ。
いつもは桜色に色づく頬と唇は、青ざめて血の気のない色をしていた。
「……姫様っ、姫様!…ど、どうしよう。姫様…っ!……綾音!綾音!早く来て!姫様が…!!」
すっかり狼狽えた千鶴の一声で、台所にいる綾音を呼びに、マルが駆け足で千鶴の横を走っていった。
つづく
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